2007年8月26日 (日)

ダブルトンボ(Double Tombow)

 先日のダブルレインボウに続いて、ダブル+韻シリーズです。相当苦しいですが・・・・。オチまで少々長いで、最後まで根気よく読んでください。

・氷池にて

20070815_1048_3  広島県呉市野呂山(のろさん)の山頂付近に、氷池という池があります。今、蓮の花がきれいだそうなので、見物に行きました。そこでの見聞です。まず、氷池の名前の由来ですが、池のそばに立てられた看板によると、この野呂山(Wikipediaで調べると、標高839Mとあります)は、標高が高いので、冬季になるとこの池が凍ったのだそうです。まだ電気製氷機がない時代には、氷が非常に貴重品だったために、良いお金になったのだそうです。おそらく氷室等で保存して、夏に販売したのでしょう。この辺りに名前が由来していると思います。いずれにしても、この盛暑にその由来を想像する事すらできませんでした。

20070815_1047_2  確かに、そこには蓮の花がきれいに咲いていました。そうきれいに・・・・真っ黒な水面の上に、白や黄色が咲いていました。

 それはそれでめでたしなんですが、その池に到着すると、蓮の花をカメラに三脚をつけてじっくり撮影している人が一人。椅子も持ってきて、蓮の花が咲く瞬間でも撮影するつもりなんでしょうか?

 それ以外の方は、親子連れが多くて、20名程度おられましたが、皆さん一様に、小型の網と小さな水槽やバケツを持って、池のほとりで何かをすくっています。何だろうと水槽の中を見てみると、エビをすくっているみたいです。でも、このエビどうするんでしょうね?家で、熱帯魚や藻と一緒に飼育するんでしょうかね?ところで、それより前に、皆さん、何故、網と水槽を持っているのでしょうか?エビををすくうのが目的で来たとしか思えません。実は、ここは、知る人ぞ知る、エビ採取のメッカだったりして。(汗)

 その中の親子の会話です。野呂山というのは先に書いたように標高が結構高いので、その氷池にはトンボが結構飛んでいました。黄色と黒のシマウマ模様のが多く飛んでいて、トンボを追いかけている親子もおりまして・・・・

子供 『お父さん、あの大きいトンボは何?』
(大きいというのは、トンボが二匹がくっついている状態を指しています。)

お父さん『・・・・・・・。あれはね、卵を産んでいるから、とっちゃだめだよ。』

子供 『うん、わかった!』

 という会話が交わされていたのですね。うーん、正確には卵を産んでいるのではないと思いますが・・・・。お父さん、ちゃんと正しい知識を与えてあげないといけませんよ(笑)。

 ところで、昔小学生時代に愛用していた、MONOブランドで有名なトンボ鉛筆の社長さんが、覚せい剤などを所持していたとして逮捕されました。何故かはわかりませんが、何となく悲しい気持ちになりました。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070815AT1G1402Q14082007.html

トンボ鉛筆会長、覚せい剤所持で逮捕・使用も認める
 覚せい剤約6グラム(末端価格34万円)などを所持していたとして、警視庁浅草署は14日までに、大手文具メーカー、トンボ鉛筆(東京・北)会長の小川洋平容疑者(59)=新宿区市谷砂土原町=を覚せい剤取締法違反(所持)などの現行犯で逮捕した。

 同署は小川容疑者の自宅から覚せい剤が入っていたとみられる空袋や吸引に使うパイプを押収。尿検査の結果、覚せい剤の使用も確認され、同容疑者が日常的に薬物を使っていたとみて入手先などを追及する。小川容疑者は「好奇心から覚せい剤を吸うために持っていた」と供述、使用も認めているという。

 調べによると、小川容疑者は13日午後6時40分ごろ、豊島区北大塚のホテルの一室で、覚せい剤5.7グラムと大麻樹脂2グラムを所持していた。小川容疑者が覚せい剤を所持しているとの情報をもとに、同署が宿泊先の同室を捜索。ズボンのポケットなどから覚せい剤を発見したという。(21:03)

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2007年8月23日 (木)

ダブルレインボウ

Double_rainbow2  少し前の話になりますが、ダブルレインボウ(二重虹)を見ました。ベランダに出ていた妻が、『二重の虹が出ている。』と言うので見てみると、確かに二重虹でした。珍しいので写真撮影もしました。二重虹はおろか虹を撮影するさえ、生まれて始めての経験かもしれません。

 二重虹をインターネットで検索して見ると、一次虹(濃い方)と二次虹(薄い方)というのがあって、その色の並びは逆になっているそうです。そう言われて写真を見ると、確かにそうなっています。肉眼で見たときは、気がつきませんでした。虹の現象自身が光の反射によるものなので、光学的に並びが逆になっているんだろうと想像していましたが、下のURLにはわかりやすく説明されています。

http://www.an.shimadzu.co.jp/support/science/010912/010912a.htm

・連想ゲーム

 虹を見て、いろいろな歌が頭の中に浮かびました。まず、杉山清貴の同名の歌のサビの部分を思い出しましたが、それ以外の部分はほとんど覚えていません。

♪ double rainbow あの日二人が見つけた 小さな愛のかたち ♪

  それから、虹を渡る人』というアルバムだったか曲がありました。誰のものだったか忘れてしまいました。男性が家出して、メモに

♪ 虹を渡ると書いてあった・・・

というものです。

最近、よく聞いている KANSAS という古いバンドの『銀翼のイカロス』に次のように聞こえる歌詞があります。

♪ Searching for the raibow's end...♪

 虹を渡るとか、虹の終わりを探すとか、(雲に乗りたいとか)できるわけない事を皆さん歌われていますね。虹は人々にそんな感情を起こさせるのでしょうか?
 だけど、子供の頃からそう思っていましたが、虹の端の辺りの家はとても暑そうに思えます。

見たら幸せになるとも言われている二重虹ですが、私の場合はどうなるでしょうか?

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2006年11月20日 (月)

最近楽しい事二件(2/2)

 最近、楽しい事その2です。体重は未だに右下がりの傾向で、体重計に乗るのはますます楽しい今日この頃です。ダイエットなんか簡単かぁ?みたいな自惚れた状況になりつつあります。そんな簡単なものではないという事は、先人の経験が物語っています。とりあえず、今朝80.0キロでしたので、今週中に80キロの大台を切り70キロ台へ突入が目標です。

 さて、本題の最近楽しい事は”歯磨き”です。

 歯科への通院治療が必要と健康診断で言われましたが、一年前もそう言われたけど歯医者に行きませんでした。それは、急ぐ事もなかろうと思っていたからですが、歯石に起因する症状(歯ぐきが腫れている。歯ぐきから出血するなど)が出始めたので、とうとう歯医者に行く事にしました。

 まず、歯周ポケットの深さを計測した後に、歯磨きの指導を受けました。歯垢の部分が赤くなる奴で染められると、やはり、歯石が多い付近の磨き方が甘いようです。このような視覚的な説明は説得力があります。この時、手鏡で口の中を見るのですが、口のまわりのお肌がとってもおやじらしくて、いやだなあと歯とは別の事を考えたりしました。

 キーンという音がする奴(エアスケーラーと言うらしい)で歯石をとってもらうと、すっきりした気分になりました。

 歯の汚れをイメージしながら、時間をかけてゴシゴシと・・・・。毎朝と寝る前の歯磨きが楽しい。歯ぐきの症状もなくなりました。

 一ヵ月後くらい後に再度通院して診てもらうと、歯科衛生士(女性)さんが、『歯周ポケットが浅くなって、歯茎が引き締まってますね。歯磨きもきれいにされていて、良い状態ですよ。』と、とても誉めてくれるのでした。日頃、あまり誉められていないので、とてもうれしかったです。歯周ポケットの深さの計測は、針みたいなものを歯茎と歯の間に入れてその深さを計測するもので、一本の歯について、表裏で計六箇所計測するようです。

 その歯周ポケットの計測値を見ると、全般的に3ミリが2ミリになった下顎の前側は良いとして、逆に深くなっているところもあります。結構、計測方法からしてバラツクので、それが本当に歯石を除去した効果なのか?という疑問が浮かびましたが、科学的な質問はやめました。(笑)

 しかし、その雰囲気を察したらしく、『歯周ポケットの深さを測っても、血が全く出なくなったので、ブラッシングの効果は顕著に出ていますよ。』とタイムリーなフォロー。この歯科衛生士さんなかなかやります。

 現在も通院中で、歯茎の中の歯石を、スケーラーで取ってもらっています。医院側の説明としては、『歯周ポケットが深い場所はエアスケーラーでは取る事ができないので、引き続き、手で取りましょうねという事でした。』 ガリガリ、ゴリゴリと結構、痛いのですが、まあ仕方ないかとい感じ。日頃さぼったツケは必ずやってくるのでした。

 気になる事が一件あります。歯科衛生士さんがカルテを歯科医さんに見せた後に、歯科医さんが言う事には、『うーん、良くなってますね。奥歯の深いところにある歯石も取りましょうね。』と私の口の中を診ることなく、そのようにおっしゃる。

『患者の口の中も診ずに、正しい診断ができるんかい!お前、間違えとる!』と言いたいところでした。言わなかったけど。

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2006年11月 2日 (木)

銀河高原ビール

Detail_img_2  10月30日の菊姫の続きです。『菊姫』を買った酒屋さんは、町の酒屋さんですが、少しこだわりがある酒店のようです。

 10年少しくらい前に改装されました。おそらく息子さんが後を継いだあたりから改装、取扱い商品も変えたのでしょう。それまでは、もうこのままでは潰れるかコンビにチェンジするしかないような店だったのではないかと思います。(余計なお世話です。)店舗リニューアルのチラシ広告が入っていてちょっと行ってみた記憶があります。

 店の中に入るとその日は息子さんのお母さんと思われる相当年配の女性が店番でした。安芸郡府中町の『椿祭り』というものが開催されているようで、店の大将は参加されているのでしょう。資生堂の『椿』とは勿論全く関係ないと思われます。

 その婆さんが正当な客である私を何か胡散臭そうに私を見ます。まるで、中学生の万引きを監視するような視線でした。なので、”そんな態度だから店が傾いたんだ。折角、息子が立て直した店もリピーターを失うぞ。まあ、年に数回程度のリピーターだが・・・”と心の中でつぶやきました。

 厳しい婆さんの監視の中、冷蔵庫を眺めていると、広島ではあまりみかけない銀河高原ビールを見つけました。あれ?確かこの会社は清算したはずではと思っていたのですが、しっかり生き続けていました。(http://oharat.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/index.html)再建されたという事は、経営は悪くても、製品自体は良いという類の製品だったと思われます。瓶とラベルもうまそうだし、一本買ってみました。

 レジで、婆さんに、『このビールはまだ生産されているんですね。』と言うと、『ええ、たくさん作ってますよ。』と全く期待通りの答え。 

 以上、ほとんど想像ばかりで書いてみました。(笑)さて、肝心のビールの味ですが、銀河高原ビールのホームページを見ると、“分かるひとには、分かる”ビール通をうならせる、おいしいビールを体感してください。”

 とありますが、私にはよく分かりませんでした。

 菊姫、銀河高原ビールの他の買い物は、『晴耕雨読』。この店は、いわゆる焼酎ブームが起こる前から、この商品を取り扱っている。年一リピーターの私は、当時から焼酎には興味がないので、これまで買ったことはありませんでした。まだ、試していないのですが楽しみです。

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2006年10月31日 (火)

城みちる

1220  某国営放送の火曜(笑)コンサート@広島厚生年金会館を見ていたら、城みちるが出演して、『イルカにのった少年』を歌っていました。昭和48年(1973年)の歌だそうです。

 現在48歳で広島県呉市に在住との事ですが、この写真とあまり変わらない顔立ちでした。

♪愛の花束、胸に抱き、遠ぉーい国からやーぁあて来る。君に、君に会うため、やーぁあて来ぃいた。・・・・♪

と当時と同じ振り付けで歌っていました。多少体のキレは悪いけど・・・・。『ひまわり娘』の伊藤咲子と一緒に思い出すのは、私だけでしょうか?

 スター誕生、中三トリオ、懐かしい過ぎる・・・・。先程、届いた、高校同窓会のメール通信を読みながらなんで、それもあるのかもしれませんが・・・・。珍しく、じいさんが編集後記を書いてなかったなぁ、そう言えば。

 ところで、広島出身という訳でか、西城秀樹さんも出演されてました。番組中のナレーションで、脳梗塞で倒れたのに克服したとか?私は全く知りませんでしたが、後遺症も見た目わからないほど回復してました。復活おめでとうございます。

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2006年10月30日 (月)

日本酒

Kikuhimerogoso_1  久しぶりに、『菊姫』を飲みました。吟醸はちと手が出なかったので、山廃純米にしましたが、あいかわらずうまいかったです。最近では、うまい日本酒は容易に手に入りますが、昔はそうではありませんでした。『美味しんぼ』で紹介された頃、わざわざクルマで石川県の松任市まで買いに行ったことがあります。その時は、『菊姫』と『天狗舞』の吟醸を買ったのも20年前の思い出です。そこの酒店で似たような雰囲気の人に会って、お互いにニヤッと笑った記憶もあります。

 最近は、ビールと焼酎が主ですが、やはり魚には日本酒がよくあいます。

 広島の西条(東広島市)は昔から酒都と呼ばれ、醸造業が盛んで、やや甘めですがうまい酒が多いです。今や地元の酒だけでなく全国の酒も容易に楽しめる良い時代になりました。最近は、年のせいか、日本酒や赤ワインを飲むと頭が痛くなるのであまり量を飲む事はできませんが、却って酒の味が楽しめるSyamahaiというもの。

 秋の夜長に静かに日本酒を味わうのも一興でしょう。

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2006年10月28日 (土)

巨大構造物二件(2/2)

 翌日、10月20日は、呉市広の独立行政法人 産業技術総合研究所 中国センター http://unit.aist.go.jp/chugoku/ に行きました。もともと、その存在すら知りませんでしたので、何をやっていることころか知る由もないです。

 当日は偶然にも一般公開日という事で、パネル展示やアトラクションが行われている日でした。観光バス等での団体客も多く、普段は閑散としているはずの場所が、そこそこの賑わいでした。とは言え、東京くんだりからわざわざ見にくるものでは決してありません。(笑)

Imagi_suiri  題名の巨大構造物とは、瀬戸内海大型水理模型です。一言で言えば、瀬戸内海の海岸線と海底の模型水槽。http://unit.aist.go.jp/chugoku/kengaku/mokei.html

 九州北東部から大阪湾までの水平縮尺1/2000で、垂直縮尺は1/159だそうです。紀伊水道及び豊後水道部の幅は100メートルとなるそうです。左の写真の真ん中あたりの点が人間の大きさです。以下、ホームページから引用。

『水理模型内に潮汐を発生させる装置は紀伊水道、豊後水道及び関門海峡の3起潮室に設置され、中央制御室にある電子計算機を用いた潮汐発生制御システムによって運転制御される。また、実験場内には各種計測装置、観測機器などが設置されており、その規模は世界最大級の水理模型試験場である。
 この大規模な水理模型を用いて、瀬戸内海の海流現象、大規模埋め立て計画や排水放流計画の適否、海水交換性の把握、潮流制御による流況改善など瀬戸内海全域の水質保全のための研究が行われている。』(引用終わり)

 昭和47年2月に着工され、昭和48年5月完成という事から、いろいろ思いをめぐらせました。昭和48年と言えば、私が中学生の頃です。高度成長期であったその頃の瀬戸内海は汚染がひどく、赤潮青潮が頻繁に発生して、『瀬戸内海は死んだ』と言われたものでした。昭和45年(1970年)の大阪万博は人類の進歩と調和を謳ったものでしたが、瀬戸内海もこのままではいかんだろという事で、この研究施設が建設されたものと想像しています。

 この水理模型で研究されたのは、潮汐による潮流の流れのようです。ある場所からの汚染がどのように広がっていくのか、外洋との海水の循環に何日かかるのかといったものが研究成果としてパネルに表示されていました。
 
 潮汐によって外洋との海水の循環に何日かかるのかという研究では、福山のあたりが最も時間がかかり約5ヶ月という結果でした。瀬戸内海の東西方向でちょうど真ん中あたりなのでもっともな話かもしれません。一旦、汚れてしまうと自力ではなかなか浄化しないということです。

 瀬戸内海はほぼ閉じられた内海ですから、これはまあ実感ですね。小学生の頃、大きな台風が来て、海が醤油色になってしまいました。この色の原因は微生物の死骸だと思いますが、これがきれいになるのにかなり時間がかかった記憶があります。
 
 この模型は全周囲を歩いて回れるので歩いてみました。現在自分が住んでいる付近や実家の付近はよく眺めましたが、なにしろ水がゆっくりと(ほとんど、止まっている)流れているを眺めてもあまり面白くないのでした。(笑)

 ただ、鳴門大橋の付近は、海流が速くちゃんと鳴門の渦潮も再現されていました。海底の地形を見ると逆凸型になっており、場所によって流速が違うので渦が発生するのが直感的にわかりました。これは、なるほどという感じでしばらく眺めていました。渦潮の発生メカニズムについての詳しい説明は以下にあります。http://www.uzusio.com/uzu.html

 この施設を見た感想です。瀬戸内海がだんだんきれいになった事に対してこの施設がどの程度役に立ったのかわかりませんが、この施設の役割はもう終わったのではないかいう感じです。内海の汚染にを浄化するためには、まず、汚染源を押さえることが根本対策で、それ以上は自然の浄化力と時間に任せるしかない。いくらこのような研究をやっても仕方ないような気がします。
 それに加えて、いまや、天気予報にもスーパーコンピューターが使われる時代。このような海流の研究もコンピューターによるシミュレーションが主役のはずです。この模型に使われているセンサーが何かわかりませんが、得られる情報は非常に少ないと想像します。また、物理的な実験なので変化させる事ができるパラメーターが限定されます。研究成果、維持費や運用コストを考えると既に模型水槽時代は終わりだと思います。

 まあ、昨年見学に行った、東海村の巨大施設に比べればその建造費はたかが知れているし、目的もよくわかるような気がします。

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2006年10月27日 (金)

巨大構造物二件 (1/2)

 業界同業者の団体様20名で、10月19日、20日に巨大構造物を二件見学に行きました。いずれも広島県呉市です。毎年開催されるこの見学会の対象地域は日本全国なのですが、今回はなぜか地元のスグそばということで参加前はあまりワクワク感はありませんでした。

Kure_2   まず一件目は、 IHIMU-アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド。この名前は、呉市でも名が売れていないそうで、IHIの造船所と言った方が良いそうです。そりゃそうかも。マリンユナイテッドって言われても、何ぢゃそりゃという感じは否めません。で、JR呉駅から運転手さんに、IHIの造船所と告げてタクシーで行きました。
 実は、この造船所は、戦艦大和を建造した造船所で、脇の道をクルマで通る時に外から眺めたことはあるものの中で実際の建造風景を見たのは初めてでした。

 現在、建造ドックは二つあって、その一つで250メートル級の船を建造中でした。IHIの方によると、ダブルハルのVLCCと聞こえましたが、VLCC(*1)って何?という感じ。その船を前方から見ると、船首と船尾とで目のピントが合わないほどの巨大さと言えば良いのか、後ろはかすんでいると言えば良いのかとにかく大きい。鉄板も薄いもので20ミリ、厚いものは60ミリと、自動車より一桁、下手をしたら二桁違う。通常、大きくても5メートル程度の製Syosen_01s_1品を開発している私から見ると、”でかい!。こんなに大きなものを作る仕事。これが男の仕事ぢゃ。”と少し興奮にも似た気持ちを覚えました。

  私の実家の近所には、常石造船という造船所があるし、尾道市にも造船所は多くありました。大きな船は見慣れているといえば見慣れていますが、考えてみれば遠目に見ていただけの話で、間近に見てこのような感動を覚えたの記憶はありません。私は非常に単純な人間なので、現在勤務している会社も小学生の時に見学に来たのが動機になっているかもしれません。小学生の時に船を見て今回のような感動を覚えていたら、造船会社に勤めていたかもしれません。そういう意味、幸運だったのか不運だったのか?(笑)

 船の内部は、あらかじめ溶接されたブロック状のユニットを船体の下側から組み立て(溶接)して行く工法で、これは新しい工法かと思っていたら、戦艦大和も既にこの工法だったそうです。ドックの周りのエリアでは、平板の鉄板を自動で切断、溶接のラインが組まれていました。IHIの方によると、この自動化ラインの場所は、かつて戦艦大和を作ったドックを埋め立てたものだそうです。

 ドックも含めた敷地の面積は相当広いのですが、作っている物に比較すると非常に手狭な感じがします。見学の時も実際の作業現場なので、組み立て中の物に当たらないように気を使うような状態です。そしてそれらは、鉄板の鋭いエッジが出ていて、ちょっと不注意でどこか体が触れる、靴で蹴ると怪我をしそうな感じで少々危険な感じがしました。最近太りすぎで動きが緩慢なせいもありますが、少々というかかなり狭い感じがします。

 肝心の訪問目的ですが、我々の専門領域については、この会社というか業界ははさほど盛んではない感じで期待外れでした。理由をツラツラ想像するに、我々の業界と造船業界の最も大きな違いは試作品の有無です。試作のない船舶では強度、耐久性などの試験が実質上不可能なので、いろいろな設計予測を行ってもその検証ができません。したがって、設計上安全率を高くとると思われ、CAE等の設計予測は役に立たないという事になります。まあ、これは想像の域を出ませんが。

----- その2に続く。

 (*1)VLCCとは、Very Large Crudeoil Carrierの略だそうで、20万トン以上の原油タンカーのことだそうです。http://www.ihi.co.jp/ihimu/ によると、写真のタンカーは、『TSURUSAKI(鶴崎)』で、全長: 319.60メートル、載貨重量トン数: 30万トンとの事。

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2006年10月22日 (日)

ウルトラマン伝説展

Img_0002m 広島県立美術館で開催中です。初代ウルトラマンは1966年に初回放送があったらしいので、生誕40年になるらしいです。既に伝説となりました。
 初代マンを中心にから最新の奴まで展示と解説がありました。初代マン関連については、いろいろ周辺知識があったので、目新しそうな資料としては、怪獣デザインを担当した成田亮氏とぬいぐるみ製作をした高山良策氏関連かなという感じ。

  逆算してみるとウルトラマンの初回テレビ放送時は7歳だったことになります。毎週”ウルトラマン”は必ずテレビで見ていました。当時のウルトラマンに関する記憶と言えば最終回の宇宙恐竜ゼットンにやられた時に悲しい気持ちになったこと。これはよく覚えています。絶対負けない(死なない)はずのヒーローが負けてしまったという不条理みたいな感じです。1968年のメキシコオリンピックで、日本女子バレーがソ連に敗れた時のもの悲しさに似ていました。
 また、ゾフィーはもう少し早く来れなかったのか?ウルトラマンが勝てない宇宙恐竜になぜ科学特捜隊が勝てたのかもわからないモヤモヤした感じもあったように覚えています。

 ウルトラマン伝説展には家族連れが圧倒的に多く、子供の年齢は小学生低学年が多い。考えてみれば自分が熱中していたのもその頃だから全く同じ年頃ということになる。40年と言えば軽く一世代を超える。親子で楽しめる企画ではあるが、しつけがなっていない子供はやはり迷惑だ。

 個人的には”ウルトラマン”次の”ウルトラセブン”(1967)が最も面白く、”帰って来たウルトラン”(1971)になると中学生で、そろそろ怪獣もなあという感じだった記憶がある。その後の奴はテレビ放送は見ていない。ウルトラセブンのDVDは全12巻持っているし、全12巻所有の特典のおまけも持っている。でも、その後DVD化された、”ウルトラマン”については、全10巻のうち、1, 2, 10巻しか持っていない。アンヌがいないとやはり、収集欲が落ちたのだろう。
 これは、現在の私にとってのヒロインの魅力度の差だと思われるが、40年前からあまり成長していない私にとって、当時もその差が両者の面白さの差であったのかもしれない。

 もう一つの差としては、怪獣の設定に対する社会性の差だと思われる。ジャミラやウーは、”見捨てられた宇宙飛行士”、”孤児のゆき(雪ん子)が村人から迫害を受けていると助けに現れる”みたいな、絶対悪の怪獣や宇宙人をやっつけるという単純なストーリーではないために、当時もわかりにくく、スカッとしない気持ちが残った。怪獣という現実から離れ過ぎた設定の中で社会問題を訴えるという事自体なかなか難しいし、ましてや対象が子供であればなおさらであろう。

 中途半端に集めたDVDを眺めながら思うのは、このウルトラマンは毎週放送されていたという事の事実。現在から思えばちゃちな特撮ではあるが、ミニチュアセットや怪獣のぬいぐるみ、撮影などこれを何週間分かのストックを持ちながら数チーム並行で進めたそうだが、週間ペースでやろうとすると大変な事であったろうと想像される。子供達に夢を与えるために頑張られたのでしょうが大変ご苦労な事だったと思います。

 休日土曜日の朝、ぼんやりそんな事を考えました。

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2006年9月22日 (金)

【入会15周年】ご利用ありがとうございます

【入会15周年】ご利用ありがとうございます

  弊社サービスを長年にわたりご愛顧いただき、誠にありがとうございます。2006年9月19日は、だんな様が@niftyにご入会されてから、ちょうど15周年となります。

 というメールが nifty から来ました。(だんなの部分には、本名が入っています。)このメールを読んで当時を思い出すに、当時はインターネットもまだなくパソコン通信と呼ばれる掲示板が主流でした。ダイヤルアップ接続の、1200bpsか2400bpsでやっていた記憶があります。

 NECが運営していた、PC-VANにも加入していたのですが、PC-VANはファイルダウンロード中に接続が切れることがよくありました。電子メールのやりとりにしても、やりとりする相手がいないという時代でした。

 NiftyのForumも閉鎖されましたし、時代の流れを少々なつかしく感じました。

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